https://books.google.co.jp/books/about/日本人とさかなの出会い.html?id=rYQYAAAACAAJ&redir_esc=y&hl=ja

 

 

 

日本人とさかなの出会い

河井智康

縄文人は12000年前から10000年続いた平和な時代です。

その間の平和の理由は食物にあります。

貝塚を見てわかるように

貝とさかなの漁獲量は非常に豊富で

採取の仕事は毎日3時間程度だったと言われている。

ほかの時間はのんびり遊ぶ時間があったようなのだ。

弥生文化は米の稲作文化とともに韓国からやってきた。

その稲作文化は貧富の格差をうみ、争いや長時間労働に巻き込まれていった。

魚介類栄養は、精神的な安定をもたらしていたので平和な時代だったと推定する説もある。

 

魚介類の採取だけでなく

ナッツ類の林の農場を作ったりもしていたようだ。

 

また魚介類のうち、ハマグリや牡蠣は養殖したり集団で採取し加工していたとも言われている。

 

貝塚は単なるゴミ捨て場所でなく

水産物加工工場の産業廃棄物の廃棄場だったようなのだ。

 

弥生文化は韓国からもたらされ、

稲作以外に繊維や薬や土器、鉄器等をもたらした。

その時代が古事記、日本書紀にある

天孫降臨や大神の時代のようだ。

日本には天孫系の部族

出雲系の部族

海人系の部族の三種の民族が混在しているようで、

原住民的に古いのが海人。

任那を出身地とする天孫系が皇族。

日本の中の豪族が出雲系。

たぶんそんな感じだと思う。

縄文人の日本は文明化が遅れていたが

豊かな食料とのどかな気候に恵まれていたようだ。

古代日本では王が立ってもまとまらずに

呪術を使う女王卑弥呼がまとめたらしい。

それは国を治める強力な武力ではなくて

海外に対抗するためにシンボルとして女王を立てたというイメージらしい。

 

前半は、河井さんの本を参考にしました。

 

後半は

任那と古代日本 寺本克之

を読んでかくつもりだったけど

寺本さんの本は難しいのであまり読めなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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