ある日、おじさんはぼくに「おい、今日は科学実験をするぞ」と言ってきた。おじさんは大学で科学を勉強していたそうだ。それもとても偉い先生に教わっていたのが自慢なのだ。「よし。今日は電気の実験だ。」と乾電池と銅線と磁石でモーターを作る実験をやることになった。正直モーター作りは学校の授業でもやっていたので面倒だったがおじさんが、どうしても実験、実験とうるさいのでさすがに断るのもかわいそうに思ってつき合ってあげたのだ。「まずは電池で豆電球を光らせるところからだ」とえらそうに教授ごっこをするおじさんに「そんなの知ってるよ。プラスとマイナスを電球と結ぶんだろ」とぼくが言うと「言うは易し、行うが肝心なんだぞ」と押しつけてくる。それでも無視していると、「あれ、付かない。オノレ、この電球は切れてるのか?」と一人で豆電球と格闘している。「おじさん、電線はヤスリをかけなきゃだめだよ」と教えてあげると「そうであった。それに気づくかどうかを試していたのだ」と言っている。しかし、あわててヤスリを探して、「ちょっと待ってろ、買いにいってくる」というところを見ると心配になってくる。「電線のまわりの不導体の電気抵抗が高いと言うことだぞ」とおじさんが説明してくるが「なんだ、準備できてないじゃん」というと「テンサイは忘れた頃にやってくる」とか言ってごまかそうとする。「おじさん、そのテンサイは天才じゃなくて天災、大震災とかのことだよ」と訂正してあげるのだ。「いつのまに変わったのかな?言葉は世につれて変化するからなあ」と間違いを認めようとしない。「モーターはなんで動くの?」と質問すると「それは、磁石と電池の相互作用なのだ。理論については学校で学べ。実験は手を動かんだ」とちっとも答えにならない。「じゃあ、モーターが動いたらやり方教えて」といい、ぼくはマンガを読んでいた。すると「あれ、動かないぞ。削りすぎたか?電池が切れたか?」とまたしても電線と電池と磁石でひとしきりジッケンをしている。「どういうことだ?これは新発見かも知れぬ。電気を流しても動かない絶縁膜を発見したぞ。」とおじさんは実験したつもりになっている。ぼくが見てみるとおじさんの電線はぐにゃぐにゃに曲げていてとても回るような仕組みになっていないだけなのだ。おじさんは頭はいいと思っているが実に不器用な手先だった。どんな実験も必ず失敗してしまう。それをおじさんは「これはこのままでは工業化できない、という新発見だぞ。改善せねばならぬ。きっと特許も必要だ。」とインターネットで特許を調べ出すのだ。難しい実験ではない。単に針金を曲げて削って磁石と電池を配置すれば小学生でも作れるモーターなのだ。そんなモーターに特許もあるわけがないのだが、おじさんは「なに?特許がないということは、わしの実験で特許を書ける」とギラギラしながらインターネットで調べるのだ。そのうち、疲れてくると「これは新規なモーターの発明だから、電気自動車のみならず、世界中の物理学者も驚く新しい動力を見つけたんだ。もっと考察せねば。」といいながらも、だるそうに布団に入るのだ。だいたいおじさんは学があると思いこんでいるだけで中学生の教科書レベルの理科の知識で最新の大学の研究の新聞記事の見出しをつなぎ合わせて現代テクノロジーを解った気になっているだけなのだ。おっちょこちょいな発明家を気取っているおじさんを世間では居候、穀潰し、ニート、怠け者と笑っていた。ぼくもおじさんはもっと働くべきだと思っているが、おじさんは「なあに、天才は世に認められないものだ。」とのんびり喫茶店と自宅の布団を往復しているのだ。

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