障害者の存在はだれでも知っているが、その就労が今、注目を集めている。
障害の可能性をもっていることを知らずに大学に通い、
就職活動している学生も多いと思う。
それは高学歴でも、高卒でもほぼ同じような気持ちで就活していると思う。

高学歴層の方が、有名大学を卒業して有名企業に入って
高い収入を得て、結婚して子供を育てる夢が描きやすいだろう。

しかし、高学歴を持っていても就職活動に失敗し、何らかの障害を発症して
ひきこもりやニートに陥って、その後も思うような就職ができない例は無視できない程多い。

 それを説明するために、ある知人の昔話をしておこう。
約20年前に、早稲田大学大学院を修了する予定で
某大手電機メーカーに内定をもらっていた。
当時から、学校も休みがちで、仲間からも変人扱いされて、
学業も手厚いサポートのおかげでなんとか修了のめどが立った状態だった。

ある日、友人の運転する自動車でドライブ中に交通事故に合い、
それがきっかけで病院に行ってレントゲンを撮ったのだが、
そのとき、気分的に躁状態に転じており、レントゲンを撮るのを拒み、
レントゲン代を払うのを拒むような奇行を取っていた。
当時、家族は心情を理解できず心配していたが、やがて平常に収まるだろうと軽く見ていた。

しかし、その数日後から学校に戻っても奇行が続き、
周りとのトラブルが増えていった。
最終的には奇行が度を越していたため
学校の医務室へ運ばれ、そのまま入院に至った。

学友たちからは
「彼は社会でやっていけないだろう。心配だ。」と言われていたが、
学業を修めていたので、社会でも適応できるはずと本人は信じていた。

その後の彼の人生は一時的な正社員こそあるものの、ほどんどを病気との闘いに敗れて
退職して非正規で働く人生を余儀なくされている。

自分は学業ができるから将来、仕事に困らないと信じていて、自分が障碍者をになるとは思ってもいなかった。

自分の学業は病気を持ってしまってからはあまりにも小さくてちっぽけなものだったと思い知らされる。

 自分の描いた幸せが「ただ既存の大学から有名企業への道に乗っかっただけにすぎない」と気づけばこそ、
同じ考え方だけでは幸せになれない人たちの苦しみにも気付けるのだ。

●金があるなら、がんばりたい人に教育を

 それでも教育が大事なのは、自尊心が付くからだ。どんなに高学歴から有名大学へのコースに外れても
頭の一部の能力は高学歴によって鍛えられている。
また同級生が頑張っていることでプライドや刺激を受けるチャンスがある。
そのことは高学歴非正規の特別な利益だと思う。

 一方で一般的な「勝ち組」の発想には警鐘をならすべきだと思う。
 
今一生さんのブログから引用すると、http://ift.tt/1QhIEcX

自分にできたことは、他の人もできると、何のためらいもなく思えるんだから。
 でもさ、自分だけの幸せや富を追うなら、そんなカンタンな生き方はないし、いくらでも金儲けできることぐらい、小学生の子どもでも知ってることなんだよ。

以下、要約すると、高学歴から有名企業に入って金儲けに成功するのは「社会の仕組みに乗っただけ」だ。
低収入で低学歴になるひとに学びを提供しないのは「勝ち組」のおごりだ。
「貧乏ゆえの犯罪」の背景にある社会的貧困に目を向けろ。
 自分の頭では考えられない成金の多い日本でも、生きづらくなる仕組みは変えられる。
 成金趣味が遊んでいる間に、世界では同時多発的に社会企業家たちが既存の社会の仕組みを疑い、時代状況を一新するために立ち上がっているからね。

以下が持論だが、

世の中は多様な価値観を求めている。
その中で他人からの評価は、常に動物でも行うヒエラルキーの一種として認めざるを得ない。

高学歴が勝ち組になるのは、仕方がないと肯定しよう。
それでも高学歴の勝ち組は、高い税金を払って、福祉なり、貧困層の教育なりに貢献するチャンスを義務があることを
自覚すべきだ。
今の社会に対して私の興味の中心があり、時代との距離感は遠い。

愛知の田舎では社会を変えるような発言や行動はできないと思う。

それでも、一元的な社会の勝ち負けの基準を超えて、

貧乏人でも法の範囲で生活して生きる喜びを味わえる社会を作れるように社会設計をすべきだと思っている。

生き方は本当に自由だが、自由に生きるには金という道具が要る。
貧乏人は、その金を稼ぐために自由で居続けられないのが世の中になっている。

だれでも貧乏人になる可能性がある社会だ。
いつ病気やケガで障害を得る可能性があるかは分からない。
それを助けあって生きる社会の仕組みを作ることが
社会起業家の役割の一つであると思う。

日本の大集団を支配していた上昇志向の考え方は、
欧米に追い付け追い越せだった。

しかし、その追い付いた後の大不況と混迷の世界との付き合いを考えるとき、
日本は内部でも外交的にも、指針を見失いかけている。

日本人は貧乏人からでも助け合って学業を修めて、
社会に貢献できる人材を輩出できる社会を目指すことを忘れてはいけないと思う。

金持ちが金持ちの再生産をするために有名大学・有名企業を利用する社会になっている現実を知って
それに打ち勝つ社会起業家の活躍が望まれる。

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